安房勝浦 春 京極夏彦著『絡新婦の理』の舞台を訪ねて




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─視るなぁ!
─俺を視るなぁ!!
【絡新婦の理】より

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渉猟中に見かけた看板。
「誰もお前の事なんか視ちゃいないよ(w」



kumo054.jpg kumo055.jpg 線路沿いを行く。
こちらでも、トタン葺きの小屋を見かける。

決して豊かとは言い難い景色ではあるが、何故か心に馴染む。
それは私の中に、私が産まれ育った昭和という時代の遺伝子が、
確かに刻まれている故だろうか。



─「それがな、仁吉。茂浦の外れのよ、芳江の家」
─「芳江? ああ、首吊り小屋か」
【絡新婦の理】より

kumo058.jpg 更に暫く進むと、道路脇に朽ち掛けたバス停が見えて来た。
──茂浦入口である。

茂浦と云えば、首吊り小屋──石田芳江の家が在ったとされる場所である。
私は早速街道を逸れ、半島状に突き出した先へ向けて歩を進める。


迂回した道の右手を見ると広大な空き地が拡がっていた。
コンクリートで舗装されている故、おそらく工場か何かの跡地であろう。
傍らに打ち棄てられた、潮と陽光に灼かれて彩度を失った看板から、某厨房機器メイカーの工場跡と知る。

私は寡聞にして知らぬが、この会社がここ勝浦発祥ならば、その起業家は地元の御大尽と呼ばれた事であろう。
だが、その栄華も今はもう無い。



─騒騒と海鳴りの聞こえる丘の上に小屋はあった。
─納屋に毛が生えた程度の文字通りの小屋である。
【絡新婦の理】より

kumo061.jpg 更に進むと間も無く守屋海岸が見えて来た。
こちらには人が多い。波乗りや浜遊びに興じる人々だ。

防波堤に沿って歩く。左手には休業中の海の家が静かに佇んでいる。
日灼けした幟。閉め切られた引き戸。雑然と並ぶ長椅子。

唯一機能している自動販売機の尾篭な朱から眼を逸らし、先を見遣る。

騒騒と海鳴りが響く。


kumo059.jpg ──その先に一件の民家があった。

雨戸を閉め切り、人の気配の無い安普請。
芳江と喜市。悲しい運命に翻弄された母子の住んだのもこんな寂しい家だったのだろうか。

時折、行楽客の上げる歓声が哀しみをより倍加させる。




kumo062.jpg その先はどんづまりだった。海辺には小さな漁船が幾槽か停泊している。

漁港と云える規模では無い。

左手には粗末な漁師小屋と資材置場の洞穴を見る事が出来る。

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この一帯は俗に云うリアス式海岸である。
波の侵食により複雑に入り組んだ海岸線には、更に無数の虚ろが口を開けている。

落ち延びた咎人が、その身に注がれる無数の視線を逃れる為に身を寄せるには、実に都合の良い地勢だ。

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国道に戻り、鉄路を下に視ながら鵜原へ向けて歩を進める。
道行く人はおろか、通り過ぎる車すら見えぬ路を独り行く。

街と街を隔てる境界は小高い山と翠深き森だ。

路は徐々に傾斜を増し、日頃不足した運動を私に強いる。



kumo066.jpg 街道を往くと閉鎖されたあばら屋が現れた。

──どうも、元は海の家だったらしい。

こんなに海から離れた場所にあって大丈夫なのかと考えたが、直ぐに駄目だったからこそ、この状態なのだ気付きひとり納得する。

この廃屋もまた首吊り小屋を思い起こさせる。
村境にも近い。

私はこの小屋の持ち主がどんな人物なのかまるで知らない。
それでもふつふつと寂寥感が浮かぶのは何故だ。

器物は百年を経て怪異を為す──と云う。
この店を開いた人物の夢、希望、幸福、転落、絶望。
もはや壊れてしまった様々なの想いの残滓を帯び、住む者の去った家は声も無く語り続ける。

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