漸く、目的地である上総興津駅に辿り着いた。
時刻は午後二時。
途中若干、時間の浪費があったとは云え、私の住む横浜から約四時間
――紛れも無い小旅行であった。
ここ興津は物語に於ける一方の舞台――聖ベルナール女学院が在るとされる場所である。
駅の東側には小さな街並と広大な海が在り、西側には直ぐに山並が覆い被さる。
当然ではあるが、鄙びた駅舎に陰惨な事件の影は全く見られない。
実に長閑で良い場所である。
作中、学院の所在と記述される山側を見やるが、矢張りそれらしき建物は無い。
只、駅の直ぐ横に墓場が在った。
─鳥が。
─鳥が鳥が鳥が。
─魂を持たぬ身体が。
─生きて居るような鳥の死体が。
――陰魔羅鬼。
─突如頭に浮かぶ。
─あの鶴は。
――あれは陰魔羅鬼だ。【陰魔羅鬼の瑕】より
駅前には、客待ちのタクシーが列を為し、暇そうな運転手達が談笑していた。
季節外れのこんな辺鄙な場所で果たして商売になるのか心配になるが、それは余計なお世話というものだろう。
ふと横を見る。
――そこに、陰魔羅鬼が居た。
否。此処でもそんな偶然は無い。
それは、薄汚れ風化したフラミンゴの像であった。
但し、何故此処に斯様な像が在るのかは判らないし、考えても詮無き事である。
私は羽ばたく事の無い鳥と、走る事の無いタクシーを置いてその場を離れた。
贔屓目に見ても興津の町は寂れている。
土曜日だというのに、街には殆ど人影が無い。店も大半が閉まっている。
新鮮な魚介料理は、益々遠退いた様だ。
仕方が無いので、私はゆるゆると行動を開始する──が、直ぐに立ち止まった。
今回の旅を正確に云うと「物語の舞台である土地を訪ね、舞台となった場所、若しくはそれに似た場所を探す」と云う事になる。
しかし――
実際に在る場所を訪ねるなら事前調査も出来ようものだが、今回の旅ではそれも適わない。
私は何処へ向かえば良いのかも判らず、先ずは海へと足を向ける。
巷間では――莫迦と煙は高い処へ昇る――と云うが、河の流れと粗忽者は海へと向かうのだ。
三分と経たずに、海へ出た。
日本渚百選にも名を連ねる興津の海水浴場である。
時節柄、此処でも人影は疎らだが、夏になれば多くの海水浴客で賑わう事だろう。
左手には小振りな漁港が在り、防波堤には地元の漁師らしき三人組が腰掛け、談笑している。
即座に呉仁吉、伊佐間、待古庵三人の姿が頭を掠めるが、勿論、その姿は国籍不明の瓢箪鯰とも獣の如き異相とも似付かない。
潮の香りと春の日差しを浴びて、私は人心地付く。
思えば、久方ぶりのゆるりとした休暇である。
このまま何もせず、暫く此処で過ごすのも好いかと思えるが、矢張り生来の貧乏性がそれを赦してはくれない。
もたもたしていると日が暮れる――と云う理が「式」と成って私を射ち、自らの意思に於いて時間と云う名の檻の内へと還させる。
私は再び街へと戻る。
何処かの暴走刑事では無いが、手立てが無いなら足で廻れば善いと云う事を認めたのだ。
粗末な地図は役に立たない。
それでも此処の地理を識りたいのならば、脚と眼と耳を使い己の身体で識るしか無いのは道理である。
取り敢えず、道すがら見かけた名も知らぬ寺などを撮影し乍ら歩く。
これはこれで娯しい。
直ぐに小さな進展があった。線路際に桜の樹を見付けたのだ。
たった一本では有るものの、この勝浦で初めて視る満開の桜である。
確かに「一面の桜」と呼ぶには程遠い。
しかし、此処勝浦に於いても今が桜の最盛期だと云う事が判っただけで有り難い。
そのまま鉄路を越え山側に向かうが、眼前に拡がる緑の屹立を前にして私の矮小な意思は早々に萎えた。
──どう見ても、其所に学院の影は無い。
それを押して迄、山に分け入るのは無謀と云えよう。
私はすっぱりと山側の散策を切り捨て、海側に焦点を合わせることに決めた。
途中の商店で冷茶を購う。千葉の地図が在ったので、これも合わせて購入した。
粗笏者は再び海へと向かう。所詮、私の決心などその程度の物だ。
浜に沿って建ち並ぶ民家の間を幾筋かの私道が貫く。
人々のささやかな生活を内包して延びるかの様な翳の路。
その向こうには、陽白と蒼海の鮮烈なコントラストが輝き私を招く。
──「全寮制の女子校で妊娠ですか?」
──「十三歳だぞ。驚いたか?」
──「いいえ」
──今日日それくらいのことで驚いてはいられない。【絡新婦の理】より
浜には数名の少女達が集まって、楽しそうに談笑していた。
地元の女子中学生の様だ。
私はそこにベルナール学院の生徒達を幻視する。
しかし、現実に生きる彼女達からは「冒涜」の影など一切見られない。
少女達には悪いが、実に素朴な田舎の子供の姿そのものである。
もしも、彼女達の中にそれを為す者が居ると云うならば、私は何の躊躇いもなく驚くだろう。
流石にいい歳をした男が少女達にカメラを向けるのは憚られたので、撮影は遠慮した。
さてと一息つき、購った地図を取り出す。
これでと思い頁を開けば、そこに在ったのは南房総全体を捉えた二十万分の一の地図だった。
興津の街など小指の先程の大きさである。
──全く、何の役にも立ちやしない。
──鳥口はそれは見事に道を間違えるのだ、と妹尾氏は云っていた。
──方向音痴と云う訳でもない。土地勘もある。距離感覚もそう狂っていない。
──しかし何故か道を間違える。
──一度横に逸れると、取り留めもなく逸れ続け、取り返しの付かぬことになるらしい。【魍魎の匣】より
仕方がないので、私は再び歩き出す。
途中、消防団の詰め所があったので『鉄鼠の檻』を思い出し写真に納める。良い感じの寂れ方だ。
ふと気付くと、家々の隙間から、高台に建つ学校の様な建物を発見した。
私は思わず気色ばみ、その方向へ向かう。
しかし、何の知識も無く闇雲に突き進んだ所為か、行けども行けども高台に向かう路は現れない。
まるで何処かのカストリ雑誌編集者の様だが、私は道に迷うと感覚のみを頼りにひたすら突き進む悪癖がある。
その感覚が当たっていたなら問題は無いのだが、いざ間違っているとなると大変である。
もう少し行けば──もしかしたらこの先に──と、際限なく突き進む為、目的の場所から遙か彼方まで行ってしまうのだ。
そして、今回の私の感覚は間違いだった様である。
件の建物は後方の森の彼方へと消え、結局、其処に行き着くための路は見つからなかった。
──老人の家は、錆びたトタン葺きも寒々しい粗末な一軒家で、
──実のところ中に入ったところでそれ程暖かくはない。【絡新婦の理】より
街道を歩く。
途中、何軒か潮に焼かれたトタン葺きの小屋を見かけた。
作中では、呉仁吉の詫び住まいも矢張りトタン葺きと描写されている。
京極氏は作品を描くにあたり、特に地取り調査は行わないと某所で述べていたが、
実際この一帯には、作品内の描写に似た造作が散見される。
ふらふらと気の向くままに足を向け渉猟していると、再び眼前に美しい海原が拡がった。
守谷の海水浴場だ。
興津の海水浴場同様、こちらの浜も日本渚百選に選ばれた銘浜である。
緩やかな入り江の中央あたりに、ぽつんとひとつ小島が浮かび、其処に鎮座する鳥居の朱が特異な雰囲気を醸し出している。
其の鳥居の先に何が祀られているのか非常に気になる処だが、流石に下着一枚で海へと飛び込むにはまだ寒い。
長く水没していた、白茶けた神像でも祀られていれば儲け物だが、此処はぐっと我慢して行き過ぎる。
何──夏になってから、又来れば善いのだから。
─興津町にある川野弓栄経営の酒舗は『渚』と云う名で
─当然だが現在は閉まっているらしい【絡新婦の理】より
興津市街に「バー渚」を思わせる店舗は見つけられなかったが、
茂浦への道のりの途中、スナックの看板を見掛ける。
早速そちらへ行ってみたものの、それらしき店は見当たらなかった。
只、すぐ横に良く有る景観の酒屋が在り、人の良さそうな夫婦が忙しげに働いていた。
海沿いの街を渉猟するのは娯しい。何気ない風景が矢鱈と懐かしく見える。
──古き良き日本の風景
征服者から被征服者への博物学的かつ差別的な視点を無自覚に内包したそんな言葉の中にも、
一遍の真理を垣間見てしまうのは、此処では私こそが紛れもない「稀人」である故か。
それでも尚、憧憬の念は私の心にふつふつと沸き上がる。
私は長らく都会に生き、旅という形に残らぬ行為など金の無駄遣いだと退けてきた。
──それがどうだ
而立を越えて立ち停まり、ふと気が付けばすっかり倦み疲れていた私の心を、
始めて訪れた寒村の退色した街並は、何処までも優しく、ゆっくりと癒す。
まだ短い時間しか過ごしていないものの、何だか私はすっかりこの海辺の街の景色が好きになっている。
巨大資本によって開発されたリゾウト地には無い、何処か寂しさを秘めた房総の海の景色が、
私が幼い頃、母に連れられて訪れた夏の海の記憶を激しく刺激するのだ。
熱い日差しとまだ若かった母。
古い民宿の畳の冷たさと、廊下の奥の暗がりに佇む便所。隣の部屋にいた名も知らぬ少女。
夜の涼しさと虫の声。窓の外に騒騒と蠢く黒い草木。
追憶の中に確かに残る微かな思い出は、決して光に満ちた光景だけでは無く、常に底知れぬ闇が背後に在った。
長じるにつれ、すっかり疎遠になっていた私にとっての原風景が此処には未だに残っている。
他愛もない事だが、何だか迚も嬉しくなってしまった。
勿論──
この土地に生きる人々にしてみれば、退屈な日常を想い起こさせる
忌々しい呪物にしか見えぬ景色なのかもしれないけれど。
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