私が今回の旅を思い付いたのは、今にも桜が咲こうという頃だったから、四月の幾日かであったと思う。
先に出掛けた京都への旅にあたって購入した青春十八切符が、旅程変更の為に一日分余っており、
そのまま無駄にするのも勿体無いという生来の貧乏性ゆえ、何処か一日で往く事の出来る適当な場所はないかと考えていたのだ。
折しも季節は春卯月──桜の花も咲こうかという頃合いである。
独り旅などてんでした事はないが、百鬼園先生にあやかって『安房-あほう-列車』ならぬ『安房-あわ-列車』に揺られ、
薫風のそよぐ房総あたりを渉猟するのも良いだろう。
そこで私は重い腰を上げ、以前から行きたいと思っていた京極夏彦氏の作品『絡新婦の理』の舞台、
満開の桜が咲き乱れる――と描写される、安房勝浦への小旅行へと出掛ける事にした。
─車窓を過ぎる景色もすっかり春だった。
─光線の加減なのだろうか。同じ筈の景色がまるで違って見える。それはそれで不思議なものである。
─ただの森だの川だのが、妙に新鮮だった。【絡新婦の理】より
千葉駅から外房線に乗り換える。都會を離れる歸省の列車は空いてゐた(w
週半ばの予報では雨と云っていたものの、蓋を開けてみれば見事に晴れ渡り、
すっかり絶好の行楽日和といった様相である。
春先の穏やかな風の中、列車は進んでいく。
―隧道に入る。車窓には間の抜けた私の顔が映っている。轟轟と音がする。
―暗がりを抜けると見慣れた顔が一瞬にして一面の桜に変わった。【絡新婦の理】より
勝浦に近づくにつれ、俄かに隧道が多くなってきた。
これはと思ったが、結局、車窓に映る間抜けな顔は厭と云う程堪能出来たものの、
「トンネルを抜けると一面の桜」という光景は遂に見る事が出来なかった。
中禅寺の声を少し遠退かせたという高架橋の上も、通らなかったと思う。
そうこうしている内に、列車は静かに勝浦駅へと入線して行った。
―駅に降り立つと仄かに磯の香りがした。
―海が近い。空はどんよりと花曇りである。
―町を抜け、漁師小屋の立ち並ぶ浜の方へ向かう。【絡新婦の理】より
作品内では一気に蜘蛛の巣館の有る鵜原まで乗り着けているようだが、
私の乗った鈍行列車は勝浦までしか行かない。
更に二駅先に有る興津まで行くには、一時間後の列車を待つしかなかった。
ちなみに、特急列車に乗れば一気に鴨川まで行く事も可能である。
作品内の時代にも、同じ列車が走っていたかどうかは解らないが、
恐らくこの列車を利用したのであろう。
少なくとも青春十八切符を使っての鈍行旅よりは可能性が高い筈だ。
─艶艶の木製の、墨汁を幾重にも塗り重ねたような漆黒の顔は
─どこかオリエンタルで――鬼魅が悪いことこの上ない。
─それが何なのか実のところ誰も知らないのだが、
─ただ代々それは『黒い聖母』と呼ばれているのである。【絡新婦の理】より
このまま停車場で待ち続けても仕方がない。
折角だから、空いた時間を使って新鮮な魚介料理を食すのも悪くないだろう。
そんな思いを抱いて駅舎を出ようと歩き出した私の目に、
いきなり途轍もない物が飛び込んできた。
――黒い聖母である
暫くの間、呆然と立ち尽くす。
漸く我に返った私は、横に添えられた由緒書きに気付いた。
――お満の方像
勿論、その銅像は石長比売でも無ければ、ましてや黒い聖母などでも無い。
ここ上総勝浦の城主、正木左近大夫頼忠の娘にして徳川家康の側室、お満の方の銅像原型であった。
流石にそれ程旨い話は無いとはいえ、偶然にしては余りにも出来過ぎた唐突の邂逅である。
緩やかな頭巾に覆われた柔和な笑顔も、戦国の世に生きた女性というより、やはり「聖母」と呼ぶ方が印象に近い。
更に、目聡い方ならお気づきだと思うが、由緒書きの中に見られる「伊豆韮山」の文字も気になる。
私はこれから始まる旅に対して、期待とも不安とも云えぬ形容し難い感慨を抱きつつ駅舎を出る。
それに合わせたかの様に、目の前の停留場から興津行きのバスが走り去って行った。
きっと勝浦停まりの列車に合わせて時刻が設定されていたのであろう。
実際、お満の方像に見惚れていなければ余裕で間に合った計算である。
しかし、これはこれで僥倖である。
私は先ず興津まで行き、そこから戻る形で今日の行程を考えていたのだが、
世の中にはバス路線と云う物が有る事をすっかり失念していた。
これを利用して興津まで行けるのならば、後の列車を待つまでもあるまい。
この際、新鮮な魚介類は後回しにする事にして、私は停車場の時刻表に駆け寄る。
田舎の交通機関の時刻表らしく、その表には隙間が目立った。
そして私は再び呆然と立ち尽くす。
次の便は驚くべき事に
――二時間後であった。
隙間にはみつしりとバスを詰め込むべきである。
結局、バスを諦めた私は駅前を暫く彷徨った。
観光紹介所を発見したので、近隣の地図など貰えぬかと思い立ち寄ったのだが、
受付の女性は、恐らく地元民と思われる初老の男性と何やら激しく論議している。
面倒なので、横の机に置いてあったそれらしき紙片を数枚頂いて立ち去った。
地図もあるにはあったが、やはり観光向けの簡素なもので、私の求める詳細な情報は出ていなかった。
こんな事なら先に確乎りとした物を入手しておくべきだったが、今更嘆いても始まらない。
それでも、勝浦駅から行ける範囲にある遠見先神社と八幡岬の勝浦城址に関する情報は載っていた。
しかしそれも、次の列車迄の一時間ではとても廻りきれないと云う事実を裏付けただけであった。
仕方なく新鮮な魚介の食える店を軽く探したが、私の望む「直ぐに」そして何より「安価に」食えそうな店は簡単には見つからず、
結局諦めて、午後の気だるい空気が漂う駅の待合室に戻る事にした。
これからの道行きを確認する為、持参したノベルス版『絡新婦』を読み返したり、
時刻表を確認したりしていると、思いの外早く時間は過ぎ、
程なく次の下り列車の入線を告げる放送が聞こえて来た。
─そして伊佐間は千葉の港を訪れ、二日前から仁吉老人の家に泊まっている。
─仁吉老人とは電車に乗り合わせたと云うだけの間柄で、
─何故こういう展開になったのかは伊佐間自体善く判っていない。【絡新婦の理】より
乗り込んだ列車はやはり空いていた。
疎らな客を載せ、房総半島の更に先へ向けて列車は発つ。
私を一時間待たせた列車は、僅か三分で次の鵜原駅へ到着した。
特急列車待ち合わせの為、暫くの間、停車する。
気付くと停車場には小柄な翁が上り電車を待って居た。
思わず呉仁吉の短躯が頭に浮かぶ。
やがて仁吉翁は、入線してきた特急列車に乗り込んで行った。
彼も又、住み慣れた土地を離れ、息子夫婦の住む都会にでも向かうのであろうか。
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